日常生活を支える「練習」の意味
高次脳機能障害のリハビリテーションでは、計算やパズル、記憶課題といった「自主トレーニング」が自宅での日課として提案されることが多くあります。これらは単なる「脳の体操」や、リハビリをしていない時間を埋めるための「暇つぶし」ではありません。
病院での訓練を、実際の生活で使える力へと変えていくための、「生活につなげるための大切な練習」として位置づけられています。なぜ、こうした課題をコツコツと繰り返すことが大切なのでしょうか。その背景にある、脳の仕組みや学習のヒントを紐解いていきます。
「脳の回復力」を引き出すための十分な刺激量
脳には、経験や学習、環境からの刺激によって神経の働き方やつながりが変化する性質があります。これを「神経可塑性(しんけいかそせい)」と呼びます。
Kleimら(2008)は、脳損傷後のリハビリテーションに関係する神経可塑性について、経験や練習の「量」や「反復」など、複数の原則を整理しています。
また、脳卒中のリハビリテーションでは、状態や時期、訓練内容に応じた適切な量と頻度の練習が重要とされています。
ただし、必要な訓練量は、疾患や症状、回復段階、疲労などによって異なります。
一方で、病院や施設でのリハビリ以外の時間にも、日常生活の中で学んだ方法を使ってみたり、必要に応じて自主トレに取り組んだりすることは、練習したことを生活につなげる機会になります。
ただし、自主トレの内容や量は、症状や疲れやすさ、リハビリの目的によって異なります。多ければ多いほどよいとは限らないため、本人に合った方法を選ぶことが大切です。
自分の“癖”を知り、工夫を立てる
リハビリでは、課題を「ただ解くだけ」ではなく、「自分はどんな場面でミスしやすいのか」「どうすればうまくいきやすいのか」を振り返る練習として使うことがあります。この“自分の認知の使い方を振り返る力”は、専門的には「メタ認知」と呼ばれます。
自主トレのプリントを解きながら、「自分は右側にある文字を見落としやすいな」「急ぐとミスが増えるけれど、落ち着いて確認すれば正解できるな」といった自分の特徴に気づく練習をします。
こうした気づきは、日常生活での困りごとに対する工夫を考えるきっかけになることがあります。
「見落としやすいから、食事のときは意識的に右を見るようにしよう」「ミスを防ぐために、一度指差し確認をしよう」といった自分なりの対策(代償戦略)は、こうした日々の振り返りから生まれることがあります。
「エラーレス・ラーニング」:成功体験を脳に刻み込む
高次脳機能障害の中でも、特に重い記憶障害がある場合には、間違いを含む学習よりも、正しい答えを導きやすくする「エラーレス・ラーニング(誤りなき学習)」が有効な場合があります。
BaddeleyとWilson(1994)は、健忘症の人などを対象に、誤りを避ける学習方法の効果を検討し、特に健忘症の参加者でエラーレス学習の利点が大きいことを報告しました。
そのため、自主トレでは「エラーレス・ラーニング(誤りなき学習)」という考え方が大切にされます。これは「できるだけ間違えないように工夫して練習する」手法です。ただし、エラーレス・ラーニングがすべての自主トレやすべての高次脳機能障害に適用されるわけではありません。症状や課題の目的に応じて使い分ける必要があります。
- 難易度の調整: 自力で「8割〜9割」は正解できる、ちょうど良い難易度から始める。
- ヒントの活用: 分からないときはヒントを使い、まずは「正解」の感覚を掴む。
こうした「成功しやすい設計」で練習を続けることは、正しい処理パターンを脳に定着させやすくするだけでなく、Bandura(1977)の心理学理論でも知られる「自分はできる」という自信(自己効力感)にも繋がると考えられています。この自信は、リハビリを長く続けていくための支えになることがあります。
「自己認識」:自分の状態を客観的に眺める
障害の影響によって、自分自身のミスや苦手な部分に気づきにくくなることがあります。これは、本人の性格や努力不足ではなく、脳損傷に伴う症状の一つとして生じる場合があります。
Crossonら(1989)は、脳損傷後の「障害への気づき(awareness)」をいくつかの段階に分け、本人の気づきの程度と、必要な代償手段との関係を整理しました。自主トレの結果を点数や時間として振り返る作業は、自分を責めるためではなく、今の自分の立ち位置を確認するための「鏡」のような役割を果たします。
こうした客観的な振り返りを繰り返すことが、自身の障害に対する気づきを深め、結果として「メモを使う」「早めに休憩する」といった実生活での前向きな工夫に繋がっていく可能性が指摘されています。
「般化(はんか)」:病院での成果を生活へ広げる
リハビリの最終的なゴールは、プリントで満点を取ることではなく、家事や仕事、外出といった生活場面で困りごとが減ることです。訓練室でできたことを、実際の生活でも再現できるようになることを「般化(はんか)」と呼びます。
病院のリハビリ室は、静かで集中しやすい、非常に整った環境です。しかし、実際の自宅や社会は、家族の声やテレビの音、焦りや疲れなど、脳にとっての「ノイズ」が非常に多い場所です。
リハビリテーションの世界では、机上課題を「生活を立て直すための材料」と捉えています。ただし、訓練室で課題ができるようになったことが、そのまま日常生活でできることを意味するとは限りません。
そのため、リハビリでは、学んだ方法を実際の生活場面で使ってみることや、生活場面に近い状況で練習することが重要になります。
自主トレも、単にプリントの点数を上げることだけを目的にするのではなく、「この課題で気づいた自分の特徴を、生活の中でどう活かせるか」を考える機会として活用できる場合があります。
自主トレを「生活の一部」として続けるために
自主トレを継続するには、気合や根性だけではなく、環境や進め方の工夫が有効な場合があります。
- 「疲れやすさ」に配慮する: 疲労によって、注意力や集中力などの認知機能が一時的に低下し、症状による困りごとが強くなることがあります。疲れが強い場合は、時間や回数を分けて取り組むなど、ペースを調整する方法もあります。
- 習慣化の工夫: 「朝食の後にこの机でやる」など、時間と場所を固定することで、迷わずに取り掛かりやすくなる場合があります。
- 周囲の関わり: ご家族などは、間違いを厳しく指摘する「監督者」ではなく、本人の取り組みを認め、一緒に記録を見返すような「伴走者」として関わることが、リハビリの質をより高める一助となると考えられています。
まとめ
自主トレーニングは、単なる脳の体操ではなく、以下のような意味を持つリハビリテーションの一環として活用されることがあります。
・学習や練習を積み重ねるための機会
・メタ認知(自分の特徴に気づき、工夫する力)を活用する機会
・症状や課題に応じて、正しい方法で取り組みやすくする工夫
・自分の状態や得意・不得意を振り返る機会
・学んだ方法を日常生活で活かすためのきっかけ
自主トレは、病院での訓練と日常生活をつなぐ一つの手段になり得ます。ただし、プリントの成績が上がったことが、そのまま日常生活の改善を意味するとは限りません。主治医やリハビリテーション専門職と相談しながら、現在の症状や目的に合った内容・難易度を選び、無理のないペースで取り組むことが大切です。
参考文献一覧
- Kleim, J. A., & Jones, T. A. (2008). Principles of Experience-Dependent Neural Plasticity: Implications for Rehabilitation After Brain Damage. Journal of Speech, Language, and Hearing Research.
- Baddeley, A. D., & Wilson, B. A. (1994). When implicit learning fails: Amnesia and the problem of error elimination. Neuropsychologia.
- Sohlberg, M. M., & Mateer, C. A. (2001). Cognitive Rehabilitation: An Integrative Neuropsychological Approach. Guilford Press.
- Crosson, B., et al. (1989). Awareness and compensation in postacute head injury rehabilitation. Journal of Head Trauma Rehabilitation.
- Bandura, A. (1977). Self-efficacy: Toward a unifying theory of behavioral change. Psychological Review.
- 一般社団法人日本脳卒中学会(編)『脳卒中治療ガイドライン 2021 [改訂2023]』
- 小川 真寛(編)『高次脳機能障害作業療法学 第3版』メジカルビュー社, 2023.
- 先崎 章(著)『高次脳機能障害のリハビリテーション 臨床적 アプローチの基礎』医学書院.
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